代表・コンサルタント紹介

中里 肇 Hajime Nakazato
代表取締役
1988年日本長期信用銀行(現新生銀行)入行。
住専、リース、信販等ノンバンクの再生業務に長く関わる。
98年退職後は米系会計事務所PwCにて日本における金融債権流動化ビジネスをゴールドマン、モルガンスタンレーといった外資大手と共に推進。
2000年、当社設立。代表取締役に就任。
以後、M&Aや事業再生、不動産関連のコンサルティングサービスに幅広く従事。
国内外の大手金融機関のクライアント多数。
中央大学法学部卒
2018年10月
ラ・マンチャの男
「おぬしはこの世にあった、また現にある従士の中でも、もっとももののわからん男じゃ。おぬしがわしとともども旅をしてすでに日数をかさねたというのに、遍歴の騎士に起こる一切の事件は、たわごとで、馬鹿げて、でたらめと見えながら、そのじつすべてが反対にできているということにまだ気づかぬとは、いったいどうしたことじゃ?それが元来そうだからというのではない、われわれのあいだにいつでも大勢の魔法使どもがつきまとっていて、わしらの周囲のあらゆる物事を、彼らの好き勝手に、あるいは、われわれによくしたいか、滅ぼしたいかの気持次第で、変えたり、違えたりするからなんだ。したがって、おぬしに床屋の金盥と見えるものが、わしにはマンブリーノの兜と見えるし、またほかの人には別のものに見えるだろう。ところで、間違いなくほんもののマンブリーノの兜を、すべての人間に金盥と思わせるようにしたのは、それがきわめて貴ばれるものだから、奪いとろうと誰も彼もがわしをつけまわすにちがいないというところから、わしに味方する賢者のじつにすぐれた差金だったのじゃな。しかし、なんの変哲もない床屋の金盥としか見えないおかげで、やつらは別に手に入れようとはしないのだ。それは、あの兜をこわそうとした男が、持って行こうともせずに、地面に棄てていったことでも、はっきりわかっている。あの男がそれと知っていたら、なんであのままに棄ておくものか。大切にしまっておいてくれ、よいかな。今のところわしには必要でないのだからな。いや、それどころか、今度の苦行で、アマディースよりもロルダンにならおうという気持がおこれば、こういう武装をすっかりぬぎすてて、生まれてきたままの裸にならねばならんのじゃ」
これは、17世紀のスペインの文豪セルバンテスの代表作「ドン・キホーテ」の一節ですが、モノの価値を判断するのはいつの時代も難しいもの。現代においてもアングルの違いによりモノの価値は驚くほど違いが出ます。 M&Aの際のセラー側バイヤー側各々が提示する企業・事業の価値、戦略的に不動産を売却しようとする側とそのディールにより利益を獲得しようとする投資家、それぞれの立場によりモノの価値、そして価格は大きな開きが生じます。ドン・キホーテの時代だけでなく、現代のように価値観の多様化が進み、様々な歴史的背景を持つ人間達が一定のルールの下に民主的に商取引を行うのは容易ではありません。比較的均一な価値観を持つと言われている日本の国内であっても困難を極めますが、ましてやクロスボーダー案件では初期の段階から合意形成に相当のエネルギーを割くことを覚悟しなければなりません。 だからこそ、ニュートラルな立ち位置で冷静な目で見つめた価値・価格という物差し、基準が必要であると私たちは考えています。この正解を導き出すことが極めて難しいゴールを目指し、私たちは創業以来ほぼ20年、ひらすらにこの作業にフォーカスし職人気質の仕事を続けてきました。
これからもこの立ち位置に誇りを持ち、少しでも精度が高まるよう、虚心坦懐に努力し、悩みながらもまっすぐに前のみをみつめ歩んで参ります。
メッセージ・アーカイブ
2024年07月「混沌から秩序へ」
2021年10月「ながらへば。。。」
2019年06月「手っ取り早く解を求めることの危うさ」
2018年10月「ラ・マンチャの男」
2015年10月「アビリーンのパラドックス」
2011年04月「東日本大震災において被災された皆さまに衷心よりお見舞い申し上げます」
2009年11月「米百俵」
2008年02月「グラックスがやってきたこと、今やっていること、これからやろうとしていること」
2006年02月「時代の変化と向き合う企業をサポートしたい 2」
2001年04月「時代の変化と向き合う企業をサポートしたい 1」