代表・コンサルタント紹介

代表メッセージ

代表取締役 中里肇

中里 肇 Hajime Nakazato
代表取締役

1988年日本長期信用銀行(現新生銀行)入行。
住専、リース、信販等ノンバンクの再生業務に長く関わる。
98年退職後は米系会計事務所PwCにて日本における金融債権流動化ビジネスをゴールドマン、モルガンスタンレーといった外資大手と共に推進。
2000年、当社設立。代表取締役に就任。
以後、M&Aや事業再生、不動産関連のコンサルティングサービスに幅広く従事。
国内外の大手金融機関のクライアント多数。
 
中央大学法学部卒

2015年10月1日

アビリーンのパラドックス

私達はここ数年、所謂「事業再生」の現場でアドバイザリーを実施してきた。
その殆どが取引銀行経由での依頼であるが、対象企業やメインバンクが様々な事情から主導的に「事業再生計画」の策定や実行ができない状況の中で、私達が当事者に代わりリーダーシップをとりつつ調整役も担う難しい役どころである。
「事業再生」を目指すこと自体に対する各ステークホルダーの「総論」は異なることは少ないが、やはり、実行段階での「各論」となると、片方の利益を優先すればもう片方の利益を損ねる事態が発生し、取りまとめは一筋縄ではない。
少しでも事態の収拾を早めるためには、やはり、対象企業の財務状態や資産のデュー・ディリジェンスを迅速且つ正確に行い、経済変化や対象企業を取り巻く環境を予測しつつ「再生計画」を策定し、今後の事業価値向上を目指し、経営者と共に「事業の再生」に向け格闘するしかない。
正確なデュー・ディリジェンスに裏打ちされ、夢物語りではない謙虚で合理的な「再生計画」であれば、遠からずコンセンサスを得る光明は見えてくる。
ただ、ここで気をつけなければならない点がもう一点ある。
銀行と対象企業、その他多くのステークホルダーとの打ち合わせを繰り返し実施する過程で、いつしか何とか穏便に取りまとめようという潜在意思が強くなりすぎ顕在化し、本来、自身が考えている「正しい道筋」を主張することを劣後させ、その場の雰囲気に迎合するような姿勢が出てくることである。
経営学にいう所謂「アビリーンのパラドックス」(注1)ともいえる現象で、本質的な議論は置き去りにされ、表面的な合意を取ることが優先されるものである。
これは、短期的には良くても中長期的に見ると、対象企業にも債権者にも決して利益をもたらすものではない。
「事業再生」が中途で頓挫する原因のかなりの部分がここにあると私は考えている。
プロセスの随所で、青臭い「そもそも論」を展開する必要がある。
「どうしてこの事業は再生すべきなのか」、「なぜ法的整理では駄目なのか」、「経営者はそのままでよいのか」、「M&Aは本当にシナジーを生むのか」、「債権カットはどの程度必要か」等々、議論の頭だしの段階で当事者間の不協和音が聞こえそうなテーマばかりである。特に、今日のようにコンプライアンス遵守が経営の最優先の時代には、失敗する確率が少なくない提案の出し手や「猫の首に鈴をつける」ようなトリガー役は誰しもやりたがらない。
しかし、リスクのない事業は有り得ない。神戸大学の砂川教授が最近の論文(注2)で、価値創造に結びつくリスクを「良いリスク」、価値創造を毀損するリスクを「悪いリスク」と分類しておられるように、難しい状況だからこそ、各ステークホルダーが自らの事業判断としてリスクを分析し決断しなければならない。

(注1)アビリーンのパラドックス ジョージ・ワシントン大学名誉教授ジェリー・B・ハーヴェイが提示した経営理論。集団内の コミュニケーションが機能しない状況下、個々の構成員が「自分の嗜好は集団のそれとは異なっている」と思い込み、集団的な決定に対して異を唱えないために集団は誤った結論を導き出してしまう。「事なかれ主義」、「集団思考」の一例としてしばしば言及される。
「ある8月の暑い日、テキサス州のある町である家族が団欒していた。そのうち一人が53マイル離れたアビリーンへの旅行を提案した。誰もがその旅行を望んでいなかったにもかかわらず皆他の家族は旅行をしたがっていると思い込み、誰もその提案に反対しなかった。
道中は暑く、埃っぽく、とても快適なものではなかった。提案者も含めて誰もアビリーンに行きたくなかったという事を皆が知ったのは旅行が終わった後だった。」(wikipedia) (注2)『日本経済新聞』 2015年9月7日朝刊「(経済教室)企業統治何が必要か 撤退の判断迫る体制を」 砂川伸幸 神戸大学教授

(注2) 『日本経済新聞』 2015年9月7日朝刊 「(経済教室)企業統治何が必要か 撤退の判断迫る体制を」 砂川伸幸 神戸大学教授

イソップのロバの親子

独裁的なリーダーシップは好ましくないものとして考えられる時代ではあるが、困難な問題を抱えている状況では、やはり強いリーダーの存在は不可欠である。
「事業再生」の現場では、それぞれの事情を抱えたステークホルダーが自己の利益を最大化すべく、あるいは損失を最小化すべく行動する。
たとえ、中長期的に見れば利益につながる可能性が高いことも目の前の不利益を飲み込んでまで理解することは難しい。
リーダーや調整役は、各ステークホルダーの利益をできるだけ優先すべく動くことは当然であるが、穏便に済ませようとするあまり、中途半端な判断になりうる危険性をはらんでいる。
イソップのロバの親子(注3)のように他人の意見に耳を傾けることに埋没し本質的な判断ができなくなっては本末転倒である。
一見、難しそうなアイデアでも、粘り強く主張し、時には独善的と取られかねないような強い判断、決断が必要な場合もある。

(注3)イソップのロバの親子 ロバを飼っていた父親と息子が、そのロバを売るために市場に出かけた。2人でロバを引いて歩いているとそれを見た人が言う、「せっかくロバを連れているのに乗りもせずに歩いているなんてもったいないことだ」。なるほどと思い、父親は息子をロバに乗せる。しばらく行くと別の人がこれを見て、「元気な若者が楽をして親を歩かせるなんてひどいじゃないか」と言うので、なるほどと、今度は父親がロバにまたがり息子が引いて歩いた。また別の人が見て、「自分だけ楽をして、子どもを歩かせるとは悪い親だ。一緒にロバに乗れば良いだろう」と言った。それはそうだと2人でロバに乗って行く。するとまた、「2人も乗るなんて、重くてロバがかわいそうだ。もっと楽にしてやればどうか」と言う者がいる。それではと、父親と息子は、こうすれば楽になるだろうと、ちょうど狩りの獲物を運ぶように、1本の棒にロバの両足をくくりつけて吊り上げ、2人で担いで歩く。しかし、不自然な姿勢を嫌ったロバが暴れ出した。不運にもそこは橋の上であった。暴れたロバは川に落ちて流されてしまい、結局親子は苦労しただけで一文の利益も得られなかった。(wikipedia)

火中の栗を拾う

本来、リーダーシップをとるべき対象企業やメインバンクが、諸般の事情からその行動に出られないのであれば、やはり、それを代行できる立場の者、能力経験がある者が実行するしかない。
その役割は、時として、ステークホルダーの様々な思惑の中で批判に晒され、最近では訴訟のリスクも覚悟しなければならない局面もあるかもしれない。
私達は、それでも、果敢に直面する難問に向き合い、批判を懼れずに、火中の栗を拾うような行動をしながら、最終的には全てのステークホルダーが何とか納得できる最大公約数的な解を導き出していきたいと考えている。

私達が「事業再生」のビジネスを始めた頃は、単なるコーディネイター役になりかねない自分達の存在意義を疑う場面も多々あったが、実績を積み重ねた今日では、私達のような役回りがなければ決して「事業再生」の成功は有り得ないと実感するほどになって来ている。
ゴールへの道筋が見えにくいナローパスであればあるほど、私達の達成感は大きい。
これからも、日々精進しスキルアップを重ね、少しでもクライアントのお役に立てるよう頑張っていきたい。